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サガにおける女性の法的権利について

山森 衛


 北欧神話と言えば、一般にどのような印象を持たれるのだろう。ワグナーのオペラや「指輪物語」の源泉、昨今ならばゲームやファンタジイ小説の素材だろうか。
 いずれにせよ、猛々しい男達のどよもしと剣戟が響きわたる、勇壮で極めて男性的な世界であるようにとらえられているものと推測する。
 だが、そこには確実に女性達も存在するのだ。
 いつの世も女性にとって(男性にとってもそうであろうが)人生で重要な位置を占める結婚における自主的な決定権の描かれ方をとおして、北欧神話・サガにおける女性像をみてみたい。
 
 女性を描いているサガとして題が挙げられるのは、「ラックサー谷の人々のサガ」である。成立が十三世紀と遅く、歴史資料としての価値に乏しいとされるが、丹念な登場人物の性格描写から、サガに馴染みのない者にも読みやすいとされる、「小説」としての色彩豊かなサガである。 サガの常として数世代にわたって続く物語であるが、主にグズルーンの四度にわたる結婚と、彼女に関わる男達をめぐっての物語である。必然的に相続や結婚にまつわる法的な描写も多い。例証としてあつかうにはまずまずだろう。
 
○初婚の場合
 グズルーンの親の世代であるホスクルドがヨールンという女性に結婚を申し込む時の手順である。だいたいの例において見られるが、まず女性の父親に、男性の父親もしくは親族が話をもちかける。そして、この事例の場合こう言われている。
「決定は娘の意志にまかせる」
また、そのひとつ下の世代孔雀のオーラーヴとソルゲルズの結婚においても、
「娘の同意がないことには誰もソルゲルズを娶ることはできんから」
という台詞がある。さらにグズルーンの息子ボリとソールディースの結婚時には、
「ただすべてはソールディースがどう思うかにかかっているわけだ」
と言われている。一応本人の意思確認はされていたようだ。
 ただし、ヨールンは
「父に決めてもらう。父がいいと言ったらそのとおりにする」
と言っている。父親もしくは保護者の意見を尊重することが望ましいとされていたらしい。ボリとソールディースの件においても、まずソールディースの父に話が持ち込まれている。また、ソルゲルズの結婚を親達が相談している時、
「ミュールの人々と親戚になることでお前の勢力も増す」
という台詞がある。このサガで大きな役割を果たすキャルタンとフレヴナの結婚においても
「父親は評判がよく、立派な家柄、財力もある。姉妹は有力者と結婚している」
との言葉が見られる。
 一応本人の意思確認は行われたが、親族の了解が大前提であり、また何よりも結婚が血族同士の繋がりとしてとらえられていたようだ。
 
○再婚の場合
 アイスランド社会において、男性の場合社会の構成員として一人前であるとみなされる条件に「結婚して独立している」ということがあった。では女性の場合、「結婚経験はあるが夫が死亡している」未亡人はどう見なされていたのか。
 グズルーンの二番目の夫であるボリがグズルーンに求婚した時は、やはり彼女の一族の男性にまず話をもちかけている。だがその男性の答えは、
「グズルーンは未亡人だ。自分のことは自分自身で決めるだろう」
とのものだった。また四度目の結婚であるソルケル・エイヨールヴソンとの時には、
「誰をさしおいても息子のソルレイクとボリに決めてもらう」
とグズルーン自身が言い、それをうけて息子は
「母が一番よく判断できる」
と答えている。
 一応本人の意思確認がなされるのは初婚の場合と同様だが、結婚経験者はそれなりの能力・地位があるように受け取れる言葉である。
 だが、サガの最初に登場する女傑ウンの孫、ソルゲルズは
「親戚の者達の同意を得て」
再婚している。また、この時息子ホスクルドの許可は得ておらず、この故にこの再婚で生まれた息子に相続権はないという騒動が後で起こる。もっとも、この場合ゲルマンの法において最も大切である「証人」の欠如が問題であり、女性の権利の問題でないという解釈も可能ではある。
 ともあれ、結婚経験の有無で多少周囲の扱いは違うものの、法的な立場としては変わらず親族男性の法的支配下にあるといえるだろう。
 
○離婚の場合
 「結婚は情熱、離婚は経済」と言われるように、結婚よりもなおエネルギーと手間を必要とするのが(少なくとも現代日本では)離婚である。サガの世界において、離婚の際の女性の立場はどのようなものだったのか。
 首長であるソールズは、妻ヴィーグディースがかくまった、殺人犯である妻の親戚をかばわなかったということが原因で妻に離婚を宣言されて出て行かれる。だが彼は離婚を承伏しなかった。しばらくの後、ヴィーグディースがソールズの持つ財産の半分について要求しようとしているという噂が流れ、ソールズはこれについて思い悩み、有力者であるホスクルドに相談すると、
「法的にソールズへの請求は出来ない。罪のある男をかばわなかったことは、男らしくない行動ではないから」
という返事を得た。
 女性の方から離婚を宣言することは可能であったようだ。ただし厳密にいえば夫の許可は必要だったようだが。また、離婚の原因として男らしくない、すなわちジェンダーが問題とされ、個人的な感情などは認められていない。離婚原因としてジェンダーの不徹底が挙げられることは、同サガの他の事例でもみられる。
 このシールズの養子、オーラーヴの娘スリーズ(このように系図が重要視され、延々と語られるのもまたサガの特徴である)は三年間の結婚生活のあと、夫ゲイルムンドから別れて暮らしたいと言われ、その際財産は残されなかった。離婚じたいにちては格別にオーラーヴから咎め立てはない。男の側からの一方的な離婚は可能だったということだろうか。ただし、この後スリーズが
「よくも人でなしのように扱いましたね」
と怒り、財産の譲渡がなかったことへの復讐として、ゲイルムンドの所有する名剣を盗んでも罪に問われてはいない。それどころか後の段落で、
「頭のいい誇り高い、すぐれた女」
と言われている。男性からの一方的な離婚の場合、可能ではあるが財産の譲渡がないことは恥ずべきことと思われていると解釈出来る(この剣の盗難エピソードは、物語の構成上作者がいれたもののような印象もないとはいえないのだが)。
 総じて、この「ラックサー谷のサガ」から見る限りにおいては 、結婚や離婚に関わる法的な制度において、女性はかなりの制限をうけていたといえる。
 
 だが、同じサガで賢女と言われるウンが一族を率い、二人の男の対立が女性の意見によって収まっている。また一方的な離婚の場合でも財産の請求はとりあえず可能であった。他のサガでも、女性が男性を鼓舞したり助言したりする描写は見られる。「ヴォルスンガサガ」のシグニューやグズルーン、ブリュンヒルドの存在感はいうまでもないだろう。
 エッダやサガにおいて、法的にはどうあれ、実質的に誇り高く激しく描写される女性達もまた、男達と同様に勇ましく、ゆえに幾百年の時を経ても人々を引きつけてやまない。
 
 引用部分はすべて
「アイスランド サガ」(新潮社)による


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